校名の由来
1960年代の高知市街地周辺部における児童数激増のため、江ノ口小学校(当時の児童数:1400名以上)、秦小学校(同:1000名以上)、初月小学校(同:600名以上)の各校区の一部の地区を合わせて誕生したのが本校区です。しかし、開校(1971年4月1日)時点での校名は「江ノ口北部小学校」でした。その後、校名委員会の発足やアンケート等を経て、同年10月、「一ツ橋小学校」に改名されました。「学校の北東にある橋の名前を取る。」「江ノ口、秦、初月の3地区が一ツ橋を通じて1つにまとまる。」という2つの考えから命名されました。(校章はそういう意味です。)
ちなみに、「愛宕小学校」「北部小学校」「城北小学校」等も新校名候補として挙がっていました。
【参考:昭和46年度 学校要覧】